大学時代は大きく2つ、学生時代と院生時代で大きく変わっています。また、丁度Windows95が発売されてDOS/V系のPCでもGUIが使えるようになった転換期をまたいでいます。
学生時代:
NEC PC-9801DA2、PC-KD882、PC-PR150H
合計80万円のセット!!
大学の一発合格(といっても、出来たばっかりの私立大学なので…)に合わせて、買ってもらったのがこの機種。今までの経験と、大学での授業などにも対応出来るだろうなぁと思って
- MS-DOSからMS-Windowsに切り替われる機種(i386登載)
- 5インチFDD(安くて憧れ)の2ドライブ
- 専用のモニタ
- カラー印刷可能な熱転写プリンタ
とセット購入しました。高校近くで3年間通いつめた電気屋さんで。これまた値引きなど一切無し!しかも、HDDなんて高級なモノは標準搭載されていない時代ですが、5インチFDDは価格がこなれてきていまい100円未満で購入できるようになっていたので迷わず選択!(それこそ、3.5インチの方が高い!)
しかし、同時購入したWindows 3.0がHDD未搭載だと使えないという制約までは知りませんでした。
なお、その後SASI(SCSIじゃないのよ!!)の内蔵135MB HDDをバイトで購入してクリア!
起動が無茶苦茶速くなって感動したのを覚えています!
まだまだ、コピーに対して甘かった時代なので、一太郎やらLotus1-2-3、松、桐などのソフトをいろいろ使ってみてました。ひねくれ者なのか、ATOKよりVJE、一太郎より松を使っていましたね。ファイラーはFDをずーと使っていました。
大学2年でモデムを購入。Nifty-SreveやPC-VANの月額費用が捻出できず、地元の草の根ネットに日がな接続し、気づけば電話代が6万円超えとかをやらかしたこともありました。(まだ、テレホタイムとかは無かった時代)
Windows 3.1
PC-9801DAとの同時購入だったWindows3.0(FDD5枚組)は、その後のHDD購入にて初めて起動して画面を見ることが出来ました。が、対応ソフトがない(DOSアプリの切り替え)とファイルマネージャ(エクスプローラーではない!)ぐらいしか無く、ほぼ意味が無い状態でした。
が、その後に発売された Windows 3.1 が次の時代を思わせる可能性を秘めていました。それが、TrueTypeフォントを実装してきたこと。日本語ワープロは、半角、全角、2倍角、4倍角・・・と文字のサイズが全角幅からの倍数で指定されていました。が、TrueTypeフォントはフォントサイズがptで自由に大きさが変わること! ワープロの表現力が大きく変わったことを覚えています。MacintoshではWYSIWYGとして見た目の大きさをそのまま印刷できる技術があったため、デザインはMacintoshというのが当たり前。それが、DOS機(PC-AT機)でも使えるようになったのは画期的でした。
プリンタも、本来は漢字フォントを搭載しておいて、文字コードを送ると印刷するという形でしたが、PC側にて「絵」を作って、プリンタに印刷させることで、遅くはなったけど自由にフォントを表現できるようになったのです。それだけ衝撃的でした。
これに伴って、Windows用のMicrosoft Word 5.0、Microsoft Excel 5.0 という 一太郎とLotus1-2-3の組み合わせを駆逐するキラーソフトが出たおかげで、一気に流れが変わったと感じました。
とはいえ、起動は遅い上に、メモリ食い、HDD必須という環境では、なかなか使えませんでした。
NEC PC-9801NS/T
大学3年次に、あることがきっかけで、サブノートとして購入。
当時サークルのロボットプログラムを作成してデバッグするのにノートPCが便利だったこともありました。また、大学構内でもレポートをしたいということもありました。当時の大学構内のマシンはTSSシステムのHITACHI 2020 オンラインで利用するテレタイプというモノなので、レポート作成とかには使えず、もっぱら、FORTRANやCOBOL専用機でした。
HDD未搭載のままでしたが、RAMドライブ+FDDという構成で、ATOK+FD+VZエディタでテキスト記載のほぼずべてが出来ていました。プログラムもかけますしね。
たしか内蔵HDDパックを譲り受け、RAMを3MBに拡張後、無理矢理Windwos3.1を動作させた記憶も。とにかく、EMSやらでメモリ管理が非常にややこしく、Config.sys、Autoexec.batの洗練化に励んだことを思い出します。
大学院生時代
Apple PowerMacintosh 7600/120
大学4年後半に奨学金までつぎ込んで購入したのがこの機種。とかく、PC-9801を使っていた脇で、先輩が見せてくれた、Macintosh SE/30のSystem7に感動。Windows3.1が霞んでしまうような洗練されたOSが本当に欲しかった。
そこそこアルバイトが出来ていたので、湯水のように投入しながら(といってもたかがしれているが)環境を整えました。
最後には、研究生でも無いのに別の学科の実験室に席を構えてMacを置いていました。(結果的に、学科を買えて大学院に進学したので、そのままの座席利用という荒技を繰り出しました)
大学院では、MacにIPアドレスを設定してもらい、しかも、当時(1995年)はグローバルIPをマシンに付与。出てきたばかりのNetscapeなどで、Web閲覧やメール、チャットなども楽しみました。
漢字Talk7.6からスタートして、最終的にはMac0S8.6まで使っていました。
メモリも16MB→128MBのスロット最大まで拡張。
ドーターカード交換でPowerPC 601/100MHzから701/200MHzまで拡張しました。
Code Warriorも手元にあったのですが、イベントドリブン型の構造や、ToolBox構造、Objective-Cが分からず、Windowシステムのプログラム作成までは進みませんでした。リソースフォークのいじり倒しやアイコン変更などは行っていましたね。
モニタは、SONY Multiscan CPD-G200P このモニタもその後しばらく使っていました。
Apple powerbook 520c
デスクトップがMacに移行したのものあって、PC-98脱却を目指して購入したのがこのPowerBook 520c。RS-422 <-> RS-232C変換でロボットのシリアル接続を行うと同時に、モデムへの接続で自宅でもインターネットに接続できていました。大学ではEther-Talkですし。
画面小さいながら、持ち運びに適しているのでレポート作成やら製図、論文作成などにも活躍してました。
そういえば、モデムの爆発的な進化もこの時代と共にだったと思います。
MSXでのパソコン通信と呼ばれていた時代は、300bps半2重
PC-9801で始めた頃に、4800、9600と倍々と早くなってきて、MNPとかの圧縮機能の強化にて、14.4k,28.8k、33.8kとかと。
ピーガーの音も変わってきて「ふーんこうなるんだぁ」と言うのも体験してきました。
今では、時折FAXのハンドシェークで”ピー音”が聞こえる程度。ネゴシエーションの”ガー音”はほぼ聞かなくなりました。
PowerBook 520cは2019年夏まで自宅にありましたが、起動しなくなったことと、このままではPCリサイクルが難しいこともあって、小型家電リサイクルにて旅立ちました。
PowerMacintoshは依然として自宅にあります。が、HDDの不良セクタがあって起動できない。物理フォーマットをかけられれば、もしかして復活可能か?しかし、Narrow SCSIのHDDってもう無いよねぇ。
MacBSD・・・ちょっとだけOSの話
MS-DOSやMacOSと並んで、研究室で触っていたのがMacBSD。いわゆるUNIXですね。
古いMacで固定IPが振ってあるものに、このMacBSDを入れると、カンタンにWEBサーバやメールサーバになって非常に便利でしたね。研究室向けやサークル向けにメールアドレスを発行してやりとりを行う管理人を行っていました。大学卒業しても数年間、イントラネットに移行するまでは管理人やっていました。それこそtelnetで遠隔ログインできるので物理的な再起動だけを研究室のメンバーに依頼して…
セキュリティ云々の昨今では考えられないけど、管理者としてのスキルは上げられたきっかけになりました。MS-DOSからUNIXとコンソール画面には慣れ親しんだのが今の知識量に非常に貢献してくれています。
Windows95発売!
大学院生でMacを使っていたときに大々的に発売されたのがWindows95
それこそ、TVでビルゲイツが秋葉原にきている映像も見てた自分です。とはいえ、すでにMacで当たり前にGUIに親しんでいたので、かな〜り下に見ていましたね。逆にVirtual PC for Macというソフトで、無理矢理WindowsをMacの中(そもそも、CPUも違うのでかなーり遅い)で動かしていたこともあります。MacユーザーとしてはWindowsなどの「窓」アプリケーションへの抵抗は少なかったのですが、その後入社した会社ではまだまだCUI(UNIXベース)での開発から抜け出せない方も多かったと認識しています。そう、エディタだけはvimがすっげー高機能なので便利なんですよねー SystemVのSPARCでしばらく開発していました! あ、ぜんっぜんWindowsの話じゃない!!